善永寺WEB2021 

2019年から2021年9月迄の善永寺寺報に掲載した住職の法話をまとめて見ました。



2021.9.8
如来の願心が 我一人に成就したのが 信心である
                   安田 理深『法語カレンダー』より
 阿弥陀如来の本願はすべての人々が幸せになるように、極楽浄土へ往生できるように願い成就されました。歎異抄には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と親鸞聖人はつねにおっしゃっていたと語られています。法然上人の信心も親鸞聖人の信心も私達の信心も、皆如来からたまわったものです。ありがとうございます。               南無阿弥陀仏
 
2021.6.30
人間は 我を知らず  我ほど知り難いものは ないのである
                        光 大船(法語カレンダーより)
 あなたは自分のことは自分が一番知っていると思ってはいませんか。でもコロナのように自分では自覚がなくて無症状でも罹患していて、みんなに移してします。私には私の知らないことがたくさんあります。よく心の中をのぞいてみてください。知らない間に優越感や劣等感そして差別意識を持っているものです。よく阿弥陀如来の光に照らされて,それが見えてくるといわれます。それは煩悩を持った私でも、阿弥陀如来の本願のお力で、救われていくからです。ありがとうございます。       南無阿弥陀仏
 
2021.6.3
信心というのは 凡夫が 仏さまと同じ命を共有するという出来事
                        大峯 顯(法語カレンダーより)
 蓮如上人は御文章で「聖人一流のご勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候。」と信心こそ信仰の中心だと説かれました。それは自分では何もできない「凡夫」の私達が、阿弥陀如来の本願によって、如来の世界に(極楽浄土)に往生させていただける。すなわち「同じいのち」の世界へ行かせていただきます。ありがとうございます。 南無阿弥陀仏
 
2021.4.21
 如来さまより 最も遠い身が  実は最も近い身でありました
                          和気義晴(法語カレンダーより)
 
 今生きている私は、煩悩を持って、苦しみを抱え、好き勝手に生きています。そんな信仰心のかけらもない私を、阿弥陀如来はまずあなたから救ってあげようと語りかけてくださっています。『歎異抄』に「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」と書かれています。私たちは煩悩を持って生きている「悪人」なのです。そんな悪人を必ず捨て置かずにいられようかと如来は手を差し伸べてくれています。早くそれに気づいて、報恩感謝のお念仏を称えていきましょう。             南無阿弥陀仏
 
2021.3.6
  私の上にあるものは 全部賜うたものである
                           法語カレンダーより
この一年私達は新型コロナウイルスを怖れ、不安な暮らしをしてきました。ともすれば、私一人が、或いは家族だけでも助かればと思う方もいたかもしれません。では、私はどんな存在なのでしょうか。実は一人では生きていけない存在なのです。お釈迦様はそれを「ご縁」と呼びました。人と人がつながってご縁が広がります。決して私一人ではないのです。私とはそんなご縁で賜った存在なのですね。みんなと共に生きましょう。        南無阿弥陀仏
 
2021.1.30
  念仏者の人生は まさに慚愧と歓喜の交錯 
                       梯實圓『法語カレンダー』より
 私はよく「ああすればよかった」「こうしておけばよかった」とくよくよ考えています。でもうまくいったときは大変うれしいものです。喜んだり後悔しながら、私達は過ごしています。これは私達の持っている「煩悩」というものによって起こされています。これを消しさえすれば、くよくよすることはなくなるわけですが、これができないのが私達「煩悩」を取り払うことのできない弱い人間なのです。だから正しい道を指し示してくれる阿弥陀如来にたよって、念仏を称えて生きていきましょう。      南無阿弥陀仏
 
2020.12.30
  私を生かしておる 力というものに 帰っていく歩み それが仏道
                        宮城(法語カレンダーより  
 コロナウイルスで外出も外食もままならない、そんな年明けです。如何お過ごしですか。こんな時こそ自分を見つめてみましょう。「私を生かしておる力」とは、阿弥陀如来の本願のお力です。こんな私でも必ずお浄土に連れて行ってくださる。そのお力にすがって、一歩一歩進んでいくのが、ほとけさまへの道なのです。皆さんと共に今年も歩んでいきましょう。          南無阿弥陀仏
 
2020.12.7
  人間は みんな すばらしい
                      東井義雄「ほのぼのカレンダー」より
 再び新型コロナウイルスが猛威を振るいだし、不安な日々が続いています。でも春の頃と比べて先が見えてきたような気もいたします。いかがですか。未知なもの、不信感そして怖れから不安が増幅してきます。だからそれが解き明かされてくれば解消していくわけです。「人間はみんな素晴らしい」と東井さんは語っています。みんなを信じてともに歩んでいくことが大切ですね。阿弥陀様が私達を必ず浄土に往生させてくださいます。報恩感謝のお念仏を続けていきましょう。
 
2020.10.8
   念仏とは  自己を発見することである
                       金子大栄「法語カレンダー」より
 念仏とは「あなたを頼っていきますよ」「阿弥陀様ありがとうございます。」ということと言われています。それは自分自身がはかなく、押しつぶされそうになったとき、誰かに頼りたくなっていきます。自己の発見とは「こんな私でも阿弥陀様が必ず助けてくれる。」と見つけ出すこと。その時思わず『南無阿弥陀仏』と口に出てしまう。念仏とは報恩感謝のお念仏です。
 
2020.9.12
 
  自分のあり方に 痛みを感ずるときに 人の痛みに 心が開かれる
                   宮城 『法語カレンダー』より
 自分が、自分がしなければと、いつも頑張っている私達。でも時には傷ついて痛いと思うときがあります。そんなときよく見てみると、私達の周りにはいろいろな人たちがいることに気がつきます。そこに気がついたとき、みんなにそして御仏に生かされている自分に気がつきます。ありがとうございます。南無阿弥陀仏
 
2020.7.3
   人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する
                        信國 淳(法語カレンダーより)
 先日テレビのインタビューで「私は無宗教です。」と応えている方がいました。私はこの人はどういう人なのか興味がわきました。それは死をも怖れない、大変強い人なのかなと思ったからです。私たちは死は怖いです。できればもうちょっと、また死んだらどうなるのが不安を持って生きています。信國さんは死を抱き、かかえるとおっしゃいました。怖いけれど避けては通れない不安、だからこそお釈迦様や親鸞さまは阿弥陀如来にすがって生きる道を示してくださったのです。             南無阿弥陀仏
 
2020.6.11
  人が何よりも 執着せんとするものが 自己である
                         毎田周一(法語カレンダーより)
 執着(しゅうじゃく)とは、ものや事柄にとらわれて離れないことです。だから「私達人間がもっともとらわれて離れないのが自分だ」ということです。仏教では人と人とがつながり「縁」が広がりその縁によってこの世ができている。でも私達はわかっていても自分にこだわって生きている。これでいいのでしょうか。こんな時代だからこそ、広く目を開いて・・・。    南無阿弥陀仏
 
 
 
2020.5.5
    いま 私にできること  私のいのちを 大切にすること
        他の人のいのちを 大切にすること
 今私たちは大きな不安の中で生活しています。目に見えないウイルスに対する不安。いつまで続くかわからない不安。大切な「つながり」がそこなわれてしまいそうな不安。そんなときは、少し立ち止まって周りを見てみましょう。
「つながり」の中で生かされている私。だからこそ、今、私のいのちを大切にしたい。私とつながる他の人の、いのちを大切にしたい。そのために今、私にできることを考えましょう。
自分は大丈夫と過信しない。
必要なものは、人と分かち合う。
不安が生み出す偏見や差別の心を持たない。
厳しい状況の中で、力を尽くしている方々に感謝する。
「つながり」の中で、生かされている私たちは、共に支え合い、力を合わせ、誰もが安心して生活できる社会を、取りもどしてまいりましょう。     浄土真宗本願寺派
 
2020.4.10
   お念仏というのは つまり自分が 自分に対話する道
                          曽我量深(法語カレンダーより)
 あなたは自分のことをよく知っていると思っていませんか。善人なのか、悪人なのか。何のために生き、何を求めて生きているのか。親鸞聖人は悩んだ末、お念仏の道に入られました。念仏は祈りの言葉でもなく、まじないの言葉でもありません。自分のありのままの姿をいつも見ていてくださる阿弥陀様に報恩感謝する言葉です。ありがとうございます
 
2020.3.2
    本当のものが わからないと 本当でないものを 本当にする
                             法語カレンダーより
 いまデマが横行し、トイレットペーパーがなくなったりしています。真実を見る目が大切だと言うことがよくわかります。この言葉、逆にすると「本当のものがわかれば、本当でないことが見えてくる。」そして「本当でない自分が知らされる。」といえます。阿弥陀如来の真実の教え、その光明に照らされて、自分自身を見つめてみましょう。    南無阿弥陀仏
 
2019.9.7
   わがこころ よければ 往生すべしと おもうべからず
                     法語カレンダー『親鸞聖人御消息』より
 親鸞聖人のお手紙の一節です。聖人は良いことをすればするほど、極楽浄土への往生は近くなっていくという「自力の心」を戒めています。阿弥陀如来の心と離れていっている。如来の本願をしっかり受け止め如来にたよっていく「他力の心」を大切にしていかなければならないといわれています。  南無阿弥陀仏
 
 2019.7.3
  浄土真宗の ならいには 念仏往生と もうすなり
                  親鸞聖人「一念多念文意」より(法語カレンダー)
 昔、念仏を何回称えれば良いのかという論争がありました。一回だけで寝も称えれば往生できるのか、または何回も多く称えた方が往生が早いのかといった論争です。親鸞さまはその時「浄土真宗のご法義は、念仏往生と聞いている。決して一念でも多念でもないと」阿弥陀如来の本願によって生かされている私たち。だから報恩感謝のお念仏は何回でもOKです。  南無阿弥陀仏
 
2019.6.12
   無碍の光明 信心の人をつねにてらしたもう
                親鸞聖人「尊号真像銘文」より (法語カレンダー)
 いよいよ梅雨に突入しました。暑かったと思ったら涼しくなったり、季節の変わり目は、身体にしんどいですね。
 こんな季節でも、阿弥陀様からのお救いの力は、光のように、つねに私たちを照らしてくださっています。ありがとうございます。 南無阿弥陀仏
 
2019.5.1
  十方の如来は衆生を
           一子のごとく憐念す
       鸞聖人「浄土和讃」より(法語カレンダー)
 今日から元号が令和になりました。平成の時と比べて何か違って感じます。それは悲しみを伴わないからかもしれません。わたしたちの生き方は悲しみや苦しみを乗り越えてこそ生きがいを感じるのかもしれませんね。「すべての世界の仏がたは、あらゆるものを、ひとり子のようにお哀れみになる。」お念仏を称える多くの人を自分の子のように哀れみ救ってくださるのです。ありがとうございます。 南無阿弥陀仏
 
2019.4.12
   真実の信心は かならず 名号を具す
                     鸞聖人「教行信証」より(法語カレンダー)
 お寺の桜は満開を過ぎましたが、八重桜、しだれ桜も盛んに咲いています。是非お参りがてらお花見に来てください。「名号」とは『南無阿弥陀仏』です。浄土真宗の信心とは、阿弥陀如来の本願によって浄土に救われていく私であることに気づくことです。そこから報恩感謝のお念仏が自然と出てくるのです。ありがとうございました。 南無阿弥陀仏
 
 
 
2019.3.5
   われらは善人にもあらず  賢人にもあらず
                       親鸞聖人「唯信鈔文意」より
 善人とは自らの力を頼り善根を積んで仏になろうとする人。賢人とは賢くよきひとだが、精進の心なく、怠け心があり、真の心なき人と説かれています。では私たちは何なのでしょうか。聖人は『歎異抄』で、煩悩を持ってこのままでは救われない私たちこそ、悪人であり、この私たちを救うことこそ如来の本意と語られています。    南無阿弥陀仏
 
2019.2.6
   きくというは 信心をあらわす 御のりなり 
                       親鸞聖人『一念多念文意』より
 浄土真宗の保育の目標は四つあります。
 一、阿弥陀さまをおがむ子どもを育てる。
 二、ありがとうと言える子どもを育てる。
 三、お話をよく聞く子どもを育てる。
 四、仲良くする子どもを育てる。
三つ目の「よく聞く子」は浄土真宗の生活信条の「御仏の教えにしたがい正しい道を聞き分けてまことのみのりをひろめます。」に通じています。御のりとは教えのこと。浄土真宗の教えは、阿弥陀如来の話を聞き、私の信心を深めていくことなのです。南無阿弥陀仏
 
2018.12.26
   煩悩を断ぜずして 涅槃を得るなり
                           親鸞聖人「教行信証」より
 初日の出は、その姿が美しいだけでなく、照らされている私を振り返る良い機会です。煩悩だらけの私、その私を極楽浄土に連れて行ってくださる阿弥陀様。ありがとうございます。      南無阿弥陀仏