善永寺はこれからの100年先を見つめる計画を立てました。そのために「建設奉賛会」を設置し、具体的な取り組みを実施いたします。
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善永寺建設事業趣意書
慈光のもと皆様ますますお念仏相続お慶び申し上げます。
善永寺は十三世紀中頃(鎌倉時代)親鸞聖人の息子善鸞によって高輪で創建されました。当時は浄土宗鎮西派といわれています。その後本願寺十二代宗主准如上人のご教化により一六〇二年本願寺に帰参し、寺地を徳川幕府に寄進し、本願寺別院(浜町御坊)に移り、その後築地に移り昭和二年まで築地本願寺の寺中寺院として活動してきました。大正十二年に起こった関東大震災とその後の区画整理により、善永寺は築地を離れ現在の地へ遷座しました。それから九十年がたとうとしています。現在の本堂は昭和三十年に着工し、四十二年にロビー・庫裏・太子ホール、六十年に二階建て客殿と建築が進められ、現在の善永寺となりました。
三年前の東日本大震災では墓石の倒壊や建物のひびなど多少ありましたが、おおむね地震に耐えることができました。ただその後コンクリートの剥離落下や雨漏りなどが頻発するようになりました。また本堂内でも御本尊の入っている宮殿や須弥壇が前に傾いていることが発覚。御本尊自体も地震によるものか、後頭部に傷がありました。また劣化も激しくなり修復が必要になりました。
昨年本堂の耐震診断を行いました。結果はおおむね現状では大丈夫だったのですが、鉄筋の劣化が予想以上にあり、あと二十年は持たないと言われています。また本堂の基礎は旧丸ビルと同じく松の杭が使われているのですが、それも確認できませんでした。
そこで平成二十六年五月に開催された「総代世話人会」で「善永寺建設奉賛会」を作り、善永寺創建七五〇年、本派帰参四〇〇年、寺基移転九〇年を期として、これから百年先を見据えた善永寺将来活動計画(別紙)を遂行する上で、必要な建物の建設を進めることになりました。
計画では第一期として現在の庫(く)裏(り)(住居部分)を壊し、そこへ二階建て太子ホールを建設する。ホールには二階に会議室二部屋を設け、椅子席での食事や、通夜葬儀などにも対応いたします。親鸞聖人は聖徳太子を尊敬されていました。善永寺にも現在聖徳太子童形像が有り、本堂に向かって左側の「太子ホール」に安置しています。このホールを移転し、活用する予定です。続いて第二期工事中はそこを仮本堂とし、本堂・ロビー及び事務所を建て替えます。
善永寺のこれから百年先をみつめ、門信徒の皆さんのお寺として維持発展させていきたいと思っております。門信徒並びに善永寺に関係する皆様に、この事業完遂のため物心両面より力強いご支援ご寄付を賜りますようお願い申し上げます。 合 掌
二〇一四(平成二六)年十月五日
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○現在太子堂ホールの建築が進んでいます。今は1階部分はコンクリートができ、2階の鉄筋を張っているところです。駐車場が狭いのでご迷惑をおかけします。 法要やお寺の行事は通常通り行いますので、お寺へ是非おいでください。
◎善永寺建設奉賛会より
3月5日現在申込金額は395名、27,336万円を越えました。目標の3億円までもう少しです。ご協力をお願いいたします。まだ申込書を返送されていない方は早めにお願いいたします。ご相談もお受けしています。申込者は本堂内に掲示しています。
      
  
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