法話のページ善永寺寺報より2005年4月〜2006年12月
2006年12月
ともかくも あなた任せの 年の暮れ   小林一茶

 歳末、お忙しい中。皆さんお元気ですか。
 とても忙しくて、「もうどうにでもなれ!」と思ったことはありませんか。一茶はそんな時「あなた任せ」とおっしゃいました。あなたとは阿弥陀如来のことです。阿弥陀様はいつでも私と一緒にいて下さり、私をお浄土に連れていって下さいます。ありがとうございます。        南無阿弥陀仏

2006年10月
うるおいのある目で見なかったら  ほんとうのことは何も見えない
                     東井義雄「ほのぼのカレンダー」より


先日人間ドックに行ってきました。毎年行っているのですが、今年は比較すると例年より数値が良い方でした。お医者さんは「そうですね、あと30キロ痩せられたらベストです」といわれました。5キロくらいなら必死になって痩せるのですが、私は逆に余裕が出来ました。まあゆっくりやりましょう。私達にとって余裕こそ大切です。「うるおいのある目」をもって本当の私を見つけていこうと思います。                                           南無阿弥陀仏
2006年9月
世の中安穏なれ 仏法ひろまれ     親鸞聖人

 本願寺派では親鸞聖人750回大遠忌のスローガンを『世の中安穏なれ』と決定しました。
この言葉は『親鸞聖人御消息』第25通にある親鸞聖人より性信房宛の手紙で「浄土に生まれることを不確かと思われる人は、まづわが身の浄土に生まれることをお考えになって、お念仏申してください。かならず浄土に生まれることができると確信される人は、仏のご恩を思われるにつけても、ご報恩のために、お念仏を心に入れて称え、世のなかが安穏であるよう、仏のみ教えのひろまるように、とお思いになるのが良いと思われます。よくよくご思案ください。このほかに別の計らいがあるとは考えておりません。」というものです。世の中「安穏」が一番ですね

2006年7月
なむあみだ 仏の方より 鳴く蚊哉    小林一茶

    
 最近寝苦しい夜になってきましたね。そんなとき「ブーン」といって飛んでくる蚊には腹が立つものです。「仏の方より」とは蓮如上人の御文章の「聖人一流章」の「仏の方より往生は治定せしめたもう」からとっています。すなわち一茶は蚊の「ブーン」という音が阿弥陀如来のお呼び声「南無阿弥陀仏」に聞こえたのでしょう。如来は私達を捨て置かずにはいられない、必ず浄土の世界に連れて行ってくださる方なのです。お盆が近づいています。手を合わせてお念仏申しましょう       南無阿弥陀仏

2006年6月
尊いものを 仰ぎ
        美しいものに 感動する心を   東井義雄(ほのぼのカレンダーより)


 今お寺は花菖蒲の季節となってきました。紫や白の菖蒲はみどりのなかに映えて大変きれいです。お釈迦さまは世の中にあるものをそのまま受け入れていくことが真実だとおっしゃいました。美しいものや醜いものをあるがままに自分の心で受け止めて、感動し、嘆き、行動することが大切です。そしてそれを示してくれる仏様に感謝する。そんな私になりたいものです。
             南無阿弥陀仏

2006年5月
光に遇うと 光をもたない
        星までが 輝きを放つ      東井義雄「ほのぼのカレンダー」より


 今、夜空を見上げると一番明るいのは、月や火星や金星です。太陽の光を受けて、ちから一杯輝いています。私達はこの月と同じです。阿弥陀如来の光に照らされて、いつも輝いていけるのです。この光は私達を内から変えてくれます。愚かな、自分では仏となることの出来ない私達、そんな自分に気が付いたら阿弥陀如来の差し出している手にすがることが出来るのです。
さあ私達も輝きましょう。     南無阿弥陀仏

2006年4月
明日ありと 思う心のあだざくら 夜半に嵐の 吹かぬものかは   親鸞聖人

 親鸞聖人九歳の時の詩です。お坊さんになるときに、夜遅かったため、明日にしようと言われました。そのときにうたわれたそうです。きれいな桜も明日になってはどうなるかわからない。それと一緒で私のいのちも明日はわからない。この世の無常観をうたったものとして有名です。私達も桜の花を見ながら世の無常を感じていきましょう 合掌

2006年3月
春彼岸 悟りの種を まく日かな

 ちょっと暖かくなってきましたね。一年で一番良い季節になってきました。おてらの庭に梅の花がやっと咲き始めました。これからは花の季節になります。私達の気持ちも心も春に向かってうきうきしてきました。こんな時こそ仏様の種を心に蒔きましょう。するとどんどんと大きくなって、きっと花咲くときが来ます。  

2006年2月
私一人のための 如来様のお慈悲        東井義雄「ほのぼのカレンダー」より
 
 幼稚園で先生が子ども達に話しかけるとき、心懸けておかなければならないことがあります。それは、先生はみんなに話しかけているのに、子ども達は全て一対一と思っていることです。だから先生が一言いうと子どもはそれぞれが反応してくれます。子どもにとって先生は自分一人のものなのです。阿弥陀如来もこれと同じです。私達仏の子一人一人にその智慧と慈悲の光をふりそそいで下さいます。だから私達は報恩感謝。 南無阿弥陀仏
 
 
2006年1月
めでたさも ちう位也 おらが春                小林一茶    
  ちう位は「中道」の意。今年はこだわりの心をなくしていきたいとものです。
 
 
2005年12月
 いま 光がとどいたのではない  光に遇わなかっただけだ  2006年法語カレンダーより
 
 歳末、お忙しい中。皆さんお元気ですか。
 光の特性は真っ直ぐ進むこと。阿弥陀如来の本願は光と同じく、真っ直ぐ私達に知らない間にも降り注いでいるのです。それに早く気が付くことが大切です。今年も後わずかです。その光に暖められてお過ごし下さい。                合 掌
 
               
2005年10月
幸福とは 「ありがたいと思う心」の中にある
 
 仏教は人間の幸せのためにあります。と良くいます。では幸せとはいったい何なのでしょうか。お金を儲けること。でもそうなるとそれを守るために他の人の幸せを壊すことにもなります。また自分自身ももっと欲望が出てきて、もっともっとと追い求め決して幸せにはなりません。要は心の持ち方だと思います。阿弥陀如来にいつも見守られ、往生させて頂ける自分に気づいたとき、感謝の心が芽生えてきます。     南無阿弥陀仏
 
 
2005年9月
秋彼岸 悟りの実り 刈る日かな
            
 いよいよ9月、収穫の季節です。9月20日から26日までがお彼岸です。この暑くもなく寒くもない一年中で一番良い季節に、自分の心の中を整理してみましょう。悟りとは心の平安のことです。幸せとは、家族とは、お浄土とは、仏壇の前で、本堂で手を合わせて考えてみませんか。親鸞聖人は「一人でいるときは二人と思え、二人でいるときは三人と思いなさい。その一人は親鸞なり。」とおっしゃいました。 南無阿弥陀仏 
 
 
2005年8月
善人になるより  悪人と気づくのは 難しい   法語カレンダーより
 残暑お見舞い申し上げます。
さて私たちは善人なのでしょうか、悪人なのでしょうか。歎異抄に「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と出てきます。ここで言う悪人とはどのような行によっても生死を離れることのできない煩悩具足のわれらなのです。阿弥陀様が一番救いたいのが、悪人である私たちです。     南無阿弥陀仏 
 
 
2005年7月
                自分の番
    うまれかわり 死にかわり 永遠の 過去のいのちを 受けついで
 いま 自分の番を 生きている  それが あなたのいのちです それがわたしの いのちです
                           相田みつを
          
 先日タクシーの中の広告からこの詩を見つけました。今ある私のいのちは過去の多くのご先祖の方のいのちを引き継いでいるのです。お盆にあたりいのちを考えてみましょう。  なもあみだぶつ
 
 
2005年6月
どんなにつらくても がんばろう  「朝のこない夜」はない 東井義雄(ほのぼのカレンダーより)
 
今お寺は花菖蒲の季節です。菖蒲は冬の間地面の下でじっとしていた菖蒲は毎年太陽の光を受けて花を咲かせます。私たちも阿弥陀如来の光を受け、その光の中で育てられています。「朝のこない夜」はありません。 南無阿弥陀仏
 
 
2005年5月
私はしばしば 仏を忘れるが 仏は私を忘れない        「法語カレンダー」より
 私たちは日々の生活を送っていくと、誰もみていないから、こんな事なら良いかと思っていろいろなことをしてしまいがちです。ところが仏様すなわち阿弥陀如来は決して私たちを忘れてはいません。親鸞聖人は「一人でいるときは、二人と思え。二人でいるときは三人と思いなさい。その一人は親鸞なるぞ」とおっしゃっています。心細いとき、寂しいときもそう思って精一杯生きていきましょう。    南無阿弥陀仏
 
 
2005年4月
 大和島根に咲きいでし 花のさまざま つみそえし いまし粧える 花御堂 たたすほとけのとうとさよ
         井上賢順「花祭りの歌」より
 
 4月8日はお釈迦様の誕生日「花祭り」です。今のネパールのルンビニーの花園で産声を上げられたのは、今から約2500年前だそうです。お釈迦様は80歳でなくなられるまで生涯教えを説かれ人々に幸せになる方法を説かれました。花祭りでは花御堂の中にお釈迦様の子供の像を安置して甘茶をかけます。お誕生の時天から花びらが降り、甘露の雨が降ってきたことを表していると伝えられています。善永寺でも10日の常例法座の時まで安置しています。    合 掌